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選手控え室
控え室は、異常な空気に包まれていた。
もちろん、この部屋の主であるキャサリンの存在のせいである。
キャサリンは部屋の中央で豪奢なソファーに腰掛け、ゆったりと本を読んでいた。一枚一枚ページをめくる。
キャサリンが読んでいるのは、ドフトエフスキーの「戦争と平和」であった。
(このお方は……)
控え室の片隅で息をひそめて座っていたマイケルは思った。
(どこまで……底が知れないのだ)
犯罪者である。
しかもただの犯罪者ではない。
強盗。殺人。列車強奪。その他ありとあらゆる犯罪で、懲役250年という極悪犯なのだ。
にも関わらず、刑務所内を自由に行き来し、ヤクザの事務所を別荘がわりにし、難しい哲学書から古典文学、さらにはオペラや歌舞伎にすら造詣が深い。
(さらには……)
マイケルはごくりと唾を飲み込んだ。
(ステイツの……合衆国の大統領すら、口で使う)
視線をずらす。
そこにはアメリカ合衆国大統領、ジャージ・ボッシュの姿があった。
「これはこれは……キャサリン様……相も変わらずご機嫌麗しく……」
「世辞はいい」
キャサリンは本から目を離すことなくいった。
「用件だけを言いな、ボッシュ」
「……」
苦虫を噛みしめたかのような表情を浮かべるボッシュ。何か言いたそうな目をしていたが、やがて口元を歪めさせながらいった。
「合衆国は、過去何度もあなたに助けられている」
(なんだって?)
マイケルにとっても初耳であった。
(助けられている?合衆国が?犯罪者に?)
「ベトナムでの、アフガンでの輝かしい武勲。湾岸戦争での砂漠の嵐作戦では、イラク側の戦車大隊を素手にて壊滅。イラク戦争でのモサイン大統領の捕獲……枚挙にいとまがない」
(なん……だと?)
マイケルは耳を疑った。
アメリカの、世界の超大国たるアメリカの輝かしい戦歴……そのほぼ全てに、このキャサリンが絡んでいるというのか?
「そして今一度、合衆国を救ってほしい」
「うるさいよ」
キャサリンは本を閉じた。そして立ち上がる。
2メートルを優に越す巨大な体躯で大統領を見下ろした。
「ボッシュ。お前の演説はこの本の1ページの価値もない」
侮辱されたボッシュではあったが、何をいうこともできなかった。世界に冠たる超大国の主であるはずのボッシュが、捨てられた子犬のようにぶるぶると震え、額から滝のように汗を流しながらじっとキャサリンを見つめている。
やがてキャサリンはやれやれとでもいいたそうに首を振ると、いった。
「ケネディみたいに、大統領演説の原稿をアタシに依頼したらどうだい?そうすれば少しは低空飛行を続けるあんたの支持率も上昇するかもしれないよ・・・この愚物が」
ボッシュはふるふると震えていたままであったが、口元をゆがめて、笑っているのか泣いているのか分からない表情を浮かべた。
「ですから、あなた様が、このmaid fightで優勝してくだされば・・・そうすれば私の支持率も回復するのです・・・」
「はっはっは」
腹をかかえて笑うキャサリン。
部屋の中の空気が4度ほど下がったかのようだ。
「素直なほうがいいよ。まぁいい。maidfightは優勝してやるさ……合衆国の為にではなく、もちろんアンタのためでもなく、アタシの楽しみの為にね」
そしてぺろりと舌なめずりをした。
「ふむ・・・この角度がいいであるかな・・・いやいや、この角度も捨てがたいか・・・」
鏡の前で、いろいろなポーズを決めている、軍服姿のダンディな男がいた。いうまでもなく、イタリア代表のご主人様、モナムールスキーである。
自慢の髭に手をあてつつ、鏡を眺めている。常人からは図り知ることができないが、おそらくはさまざまな計算が彼の頭の中では繰り広げられているのであろう。
(・・・まったく・・・馬鹿馬鹿しい)
椅子に座り、頬杖をつきながら、彼のメイド、ルーシアはそっとため息をついた。
忌々しい。
どうしてこんな男をご主人様に選んでしまったのであろうか?
(まぁ、仕方ないといえば仕方ないわね)
またもや、ため息をつく。先ほどのため息よりも、さらに大きなため息だ。
(あたしの使うインフィニティリリック。それに耐えられるのがこの男しかいないんだもんね)
それにしても、と思う。
せめて、もう少しマシな男であればよかったのだが・・・
「ルーシアよ」
「は、はいっ」
急に呼び止められて、思わずすっとんきょうな声をあげてしまった。
モナムールスキーは鏡の前でポージングしたままで、振り向きもせずにいった。
「そなたはどう思う?こちらの角度と・・・」
体の向きを変える。手の位置を少し変え、顔の向きも少し変わっているようだ。
「この角度、どちらが観客に対してより我が輩に萌えさせることができるであろうか?」
(・・・どっちでもいいわよ)
心の底で悪態をつきつつも、できるだけの笑顔でルーシアはいった。
「どちらも素敵だと思います!どちらのポーズも、ご主人様の魅力が十分に出ていると思います!」
「いやいやいや、ルーシアよ。そなたは分かっていない」
呆れ顔で振り返るモナムールスキー。
「観客が我が輩たちに求めているのは、もはや勝利だけではないのだよ。いかに優雅に、いかに華麗に、いかに萌えさせてくれるか・・・そのためには、いくら研究したとしても、研究しつくしたということはないのだよ。やれやれ、大衆の要求にこたえるというのも大変なことだが、それもこれも、我が輩のもって生まれた宿命というものか・・・」
(うげぇ・・・)
気づかれないように顔を背けると、ルーシアはそっと舌を差し出した。
(そんなこと考えている暇があるなら、少しはあたしの手駒らしく、ちょっとは試合の練習でもしたらどうなのよ・・・)
もしも、ルーシアの歌うインフィニティリリックがなければ、モナムールスキーの戦闘力は凡人と変わらないのだ。イタリア予選を勝ち抜くことができたのは、ルーシアのインフィニティリリックのおかげに他ならないのだが・・・
(どうして、まったく気がつかないのよっ)
下手に気づかれたらそれはそれで大変なことになるのだが、まったく気づかないというのも困りものである。全て自分の実力で勝ってきていると勘違いしているモナムールスキーは、今では「試合」そのものよりも、「演出」に気を使うようになっていていたのだ。
(まぁ、あたしの計画のためにも、頑張ってもらわないといけないんだけど)
ルーシアはそう思い、再び鏡の前でポージングを取り始めているモナムールスキーの背中を見つめて、今日最大のため息をついた。
(はぁ・・・あたし・・・頑張るわ)
「うむ!これだ!この角度だ!」
モナムールスキーの会心の言葉が、部屋中にこだました。
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