Aブロック
第1回戦 第1試合




セーシェル共和国代表 イギリス代表
ご主人様
鬼流院蛇姫
メイド
伏魔殿邪美
メイド
アリス
ご主人様
キャロル
VS



選手控え室


 開会式の後、市民球場は異常な熱気に包まれていた。 
 もちろん、これから始まる第1試合に対する期待の熱気である。

「・・・すごいですね」

 会場の雰囲気に飲まれそうになり、不安そうな表情を浮かべてきょろきょろしている蛇姫を見て、邪美は優しく微笑んだ。

「蛇姫、安心して。私がついているんだから」

 そういうと、手にしていた薔薇を取り出す。真紅のその薔薇はほんのりと水滴がついていた。つい先ほどまで、花瓶の中に大事に入れられていたのだ。

「この薔薇を落とされた方の負け、ね」

 邪美は薔薇を見つめる。
 いよいよ始まるMaid Fight。
 ルールは単純で、お互いのご主人様が胸につけた薔薇を落とされたほうの負け。それ以外にルールは決められていない・・・すなわち、武器を使おうが、何をしようが、問題はないのだ。

「相手のメイドと戦わず、一直線にご主人様を狙う、という選択肢もあるわけだ」

 それはさせない。
 何があろうとも、この大事な妹だけは自分が守らなければならない。
 おびえている蛇姫の肩に優しく手を置くと、邪美はいった。

「蛇姫、目を閉じて」

 素直に目を閉じる蛇姫。
 とくん。とくん。
 周囲の喧騒が去り、自分の心臓の音だけが聞こえてくる。肩にかけられた邪美の手の平が暖かい。このままとろけていってしまいそうだ。安心する。

 ふいに、蛇姫は自らの胸に感触を感じた。
 邪美が、薔薇をつけてくれているのだ。
 心臓の音が大きくなる。
 どくん。どくん。どくん。
 この音に気づかれてしまうだろうか?蛇姫は息を止め、それを姉にさとられまいと努力した。

「いいよ。目を開けて」

 ゆっくりと目を開く。
 突然、目の前が開ける。市民球場に集まった大観衆が、自分を見つめているのに気がついた。が、不思議ともう緊張はない。それらは全て、お姉さまに薔薇をつけられている最中に消し飛んでしまっていた。

「蛇姫は私が守るから」

 メイド服姿の邪美がいった。気負いも、何もない声。当たり前のように言う。この言葉に嘘がないことがすぐ分かる。伝わる。姉は本気で自分を守ってくれようとしてくれているのが分かる。
 ふいに、邪美が手にしている魔剣に目がいった。
 名も無き魔剣。
 由緒正しい剣でもなく、何か特別な魔力が込められているわけでもない。

(なのに、どうしてこんなに強いのですか?)

 昔、尋ねたことがある。あれはZyakoku Fightが終わったばかりの頃だっただろうか?邪美はしばらく考えた後、やがてにっこりと笑ってこう応えたものだ。

(思い、が込められているからかな)

 名も無き漆黒の魔剣を見つめると、邪美はまるで遠くを見つめるかのような表情を浮かべていた。

(昔は、人間が憎い、ただそれだけの思いを込めて戦っていた。今から考えると、この剣にも嫌な思いをさせたかもしれない。けれど、こいつは黙って私についてきてくれた。けれど、今は違う。今は、私は生きとし生けるもののために戦っている。私は、昔より強いよ)

 そういって、蛇姫のほうに振り向いて、笑った。

(私はもう、一人じゃないからね)




「守られるだけじゃ嫌です」

 蛇姫は胸につけられた薔薇にそっと触れると、邪美を真正面から見据えていった。

「お姉さまは一人じゃありません。私が、桜子姉さんが、華敏さんが、みんなが、ずっと思いを託してついていっているんですから・・・だから・・・」

 きっと、瞳を見つめる。

「そんなに何もかも、自分で背負わないでください!」

 きょとんとした表情を浮かべる邪美。やがて、嬉しそうに笑い始めた。

「はは・・・はは・・そうだね。そうだった」

 蛇姫の頭にぽんと手を置くと、いった。

「蛇姫は、わがままなんだった」
「そうです。わがままな妹なんです」

「いいよ」

 そして振り向くと、試合会場に向けて足を踏み出す。

「全部受け止めてあげるから、一緒に行こう」
「はい!お姉さま!」

 その後姿を、蛇姫は追いかけていった。
 歓声の中へと・・・




 控え室の中。
 少年は、一冊の本を読んでいた。
 題名は、「不思議の国のアリス」
 もう何度読んだか分からない、少年の大事な本だった。

 背中合わせに座っている少女の体温が伝わってくる。
 肩が、小刻みに震えているのが分かる。振動が伝わり、本が少しゆれる。
 それでも、その少年・・・キャロルは、何も言わなかった。
 ただ黙って、本を読む。

 ページを、一枚一枚めくる。
 挿絵には、可愛らしい少女が描かれている。世界中で愛されている少女、アリスだ。




「アリスと同じ名前ですぅ」

 昔、木陰でこの本を読んでいると、遠くからとてとてと走ってきて、アリスがいったものだ。

「そうだよ」

 イギリスの午後のまぶしい日差しの中、ちょっと目を細めてみあげてキャロルは応えた。

「アリスと、同じ名前だ」
「嬉しいですぅ」

 ちょこんと座るアリス。
 草の匂いが胸いっぱいに広がる。遠くからは、放牧された羊の声がしてくる。
 これが、幸せなんだと、キャロルは思う。
 本当の幸せなんて、手に入れるのは簡単なんだ。なのにどうして大人たちは、あんなに苦しそうに幸せを求めていくのだろう?

「アリスは幸せかい?」
「もちろんですぅ!」

 アリスは背筋をしゃんと伸ばすと、頬を真っ赤に染めながらいった。

「キャロル様の側にいられるのですから!」
「ありがとう」

 昔から、キャロルに仕えてくれているアリス。イギリスの大貴族の一人息子であるキャロルに対し、両親は多大ともいえる期待を込めてくれている。
 その期待には応えよう、と思っている。
 いつか自分は、大貴族となり、この領民全てを率いる身分となる。
 それは運命だ。
 逃れようと思えば、逃れることもできる。貴族の名を捨て、どこか遠くへ行けばいい。
 だが、キャロルはそれをしない。自分の運命からは逃げ出さない。自分が背負っているものは、自分だけのものではないのだ。貴族には、それを果たすべき義務がある。

 けれど。

 いくら大きくなっても、どんな数字に囲まれていても、この木の下でアリスと一緒に本を読んだ光景だけは忘れないようにしよう。
 この光景さえ心に残っているなら、自分は大丈夫だ。



 本を閉じる。
 今自分がいる場所は、あのイギリスの丘の上じゃない。
 戦うべき場所だ。
 背中からアリスの鼓動が伝わってくる。
 彼女を、Maid Fightへといざなったのは他の誰でもない、自分だ。
 キャロルは自分が果たすべき責任のために、自分ができる最大の努力を図った。

 メイドだけなら、キャロルには何人もいる。単純に戦闘力だけで考えたなら、アリス以上のメイドはたくさんいる。またキャロルほどの財力があれば、金にまかせて屈強のメイドを雇うこともできたかもしれない。

(けれど、それは違う)

 キャロルは、立ち上がった。

 全てを背負う覚悟はしている。その運命からは逃げない。
 逃げれない。
 だからこそ、キャロルを支えてくれる存在が必要なのだ。それは単なる戦闘力だけでは図れない。

 アリスの表情は見なかった。
 彼女が戦いを欲しているのか、それとも拒絶しているのか、それは分からない。それを思いやることは出来ない。
 ただ、キャロルは命令するだけだ。
 その命令こそが、覚悟だ。

(あの丘の上に戻るのは、その後からでいい。全てが終わってからでいい)
(僕には、帰れる場所がある)
(だから)
(負けない)


 キャロルは、いった。

「行くよ、アリス」
「はいですぅ!」

 先ほどまで震えていたはずの少女は、満面の笑みで応えた。

「キャロル様のメイドであるこのアリスが、イギリスを代表して、他国の糞メイドたちを皆殺しにしてやるですぅ」




試合会場


 沸き起こる歓声の中、メイド服に身を包んだ邪美は会場に降り立った。
 手にしているのは、名も無き漆黒の魔剣。
 腰まで届いた黒髪をたなびかせると、口元を引き締めた。
 目の表情が、優しい姉のものから、剣士のそれに変わる。
 邪美は息を吸い込んだ。

『さぁ!いよいよ!世界が待ちに望んだmaidfightの始まりです!』

 実況子の明るいアナウンスが会場に響き渡る。歓声があたりにこだました。

 姉の後ろ姿を見ていた蛇姫は、胸にしていた薔薇にそっと触れた。

(この薔薇を落とされたら負け……)

 不敗の魔女の名を貶めるわけにはいかない。蛇姫は決意をあらたに、口元をぎゅっと引き締めた。

『では……maidfight、Aブロック第1回戦、はじめっ』

 歓声が一際大きくなる。耳が割けそうだ。
 ……しかし。

「敵は……どこ?」

 蛇姫は目を凝らした。だが、どこにも敵の姿は見えない。

「どこにいったの?」
「油断するな、蛇姫」

 周囲を見渡した蛇姫に邪美が注意を促した、まさにその瞬間。
 観客席のとある一点が、白く光った。

「きゃっ」

 強い衝撃が蛇姫を襲った。蛇姫は突き飛ばされ、地面に転がる。
 つい先ほどまで蛇姫が立っていた場所に、邪美はいた。
 魔剣を眼前にあて、構えている。

 ……銃声は、その後から響いてきた。

「三発……しかも正確に、致命傷になる箇所だけを狙ってきている」

 つぅ……と、邪美のこめかみから血が流れ落ちてきていた。
 魔女の血は、人と同じ赤い色をしていた。

「この距離から……正確に……イギリス側のメイド、確かアリスといったね……いい腕前だ……」
「お姉さま……」
「ふせて!蛇姫!」

 邪美は叫ぶと同時に飛び退いた。
 手を伸ばし、蛇姫を抱え込む。

 ぱんっぱんっぱんっ

 また三発、先ほどまで邪美がいた地面に穴が開いた。

「それに、容赦がない」

 邪美は観客席を見つめる。敵の姿は見えない。
 もし、少しでも回避が遅れていたなら、確実に死んでいた。
 緊張が走る。
 敵は、相手を殺すことに対し、なんの躊躇もしていない。
 そこが恐ろしい。

「しかもご丁寧なことに……同じ箇所に正確に三発撃ち込む用心深さだ……」

 確か、イギリスのメイドはまだ10歳になるかならないかの幼さのはずだ。
 それが、殺人を犯すことになんの躊躇もしていない。

「やばいかもね」

 邪美は思った。

「私は、相手の命まで奪う気はない……けど、敵には迷いがない」

 この差が、どうでるか?ギリギリの戦いとなれば、あるいは勝負を決める要因となるかもしれない。
 相手を殺そうとせずに勝とうとするなど、あまいのかもしれない。
 けれど。

「私は……殺さない」

 生きとし生けるものには、それだけの価値がある。意味がある。

「私は教えられたんだ、生きる意味を。だから……」

 邪美は、いまだどこにいるかも分からない敵に向かって、いった。

「あなたにも、それを教えてあげる」





「……あの女、信じられないですぅ」

 スコープから目を離すと、アリスはつぶやいた。

「この距離から狙撃されて、どうして避けることができるですか?」

 信じられない。

 本当なら、銃声が届くよりも先に、相手は脳漿をぶちまけて倒れているはずだ。
 距離もある。さらにはこの大歓声だ。銃声で狙撃を判断することなどできないはずだ。

「……化け物です」

 アリスの心に、冷たい影がよぎった。
 作戦は完璧なはずだった。試合開始と同時に、観客の中にまみれて狙撃する。
 なんらルールに違反していることはない。
 maid fightのルールはたった一つ、

「ご主人様の胸に刺された薔薇を落とされた側の敗北」

 これだけだ。

 アリスはプロだった。
 相手の力量、自分の力量、全てを計算して必勝の作戦をたてた……はずだった。

「アリス、大丈夫かい?」

 傍らにいたご主人様のキャロルが声をかけてきた。心中の動揺をさとられたのかもしれない。駄目だ。キャロル様に心配をかけるわけにはいかない。

「全然へっちゃらですぅ。あの魔女、ゴキブリみたいにちょろちょろ動くから狙いが定まらなかっただけですぅ」
「アリス、無理はしないで」

 そう言いながら、キャロルはアリスの肩にそっと手を置いた。

「僕たちの圧倒的な優位は間違いないんだから」

 視線を遠く離れた邪美へと向ける。

「この三万の群集の中から、たった2人の僕たちを見つけることができるかな?不敗の魔女」





『い、いったい何が起こっているのでしょう?まったく分かりません』

 アナウンスの声だけが鳴り響く。

 会場には邪美と蛇姫の2人しかいない。
 その2人が試合開始と同時に突然とびのき、邪美に至っては額から血を流している。
 何かが起こっているのは分かる。ただ、何が起こっているのかは分からない。

『えーっと、とにかく何かが起こっているようです』

 と、ありのままを告げた時、ふいに況子の隣からしわがれた笑い声があがった。

「困っているようだねぇ」
「おばあちゃん!」
「誰がおばあちゃんだい。こんなピチピチギャルを捕まえて」

 そう言いながら、よっこらしょと解説席にいる況子の隣に腰掛けたのは、前maidfight優勝者、西園寺お梅だった。

(私、この人苦手なのよね~)

 思わず口元がひきつる。そんな況子の仕草に気付いているにも係わらず、お梅はうひょうひょと笑いながら席を詰めてきた。

「せまいよ。もっとあっちにいきな」
「そりゃあ、もともと一人用の席ですし……」
「まったく、最近の若いもんは気が利かないねぇ。茶菓子の一つでも出したらどうなんだい?」
「いや、そんなこと言われましても……って、お梅さん!この梅昆布茶、いったいどこから出してきたんですか!?」
「細かいこと気にしていたらおっぱいが大きくならないよ」

 そう言って茶をすするお梅。

(おっぱいって……そういうあなたはしおしおじゃないの)

「何か言いたいことでもあるのかい?」
「いいえ、おほほほほ」

 口論して勝てる相手ではない。
 況子は話題を変えることにした。

「それでお梅さん。今の状況を説明してくださいますか?」
「そのために来たんだから当たり前だろ?」
(ああ言えばこう言う……)
「何か?」
「いや~、あっはっは」

 ギロリと睨まれて、況子は頭をかきながら視線を明後日の方へと向けた。

「まぁいい……イギリスのメイド、アリスが遠距離から狙撃し、魔女がよけた、という状態さ」

 そういうと茶を一口すすった。

 いつの間にか、机の上には茶菓子まで完備されていた。

(この妖怪ばばあ)

 そんな況子を体よく無視すると、お梅は嬉しそうに笑った。

「なかなかどうして……今大会もレベルが高いじゃないか……勝つためには手段を選ばないプロに、その予想を上回る魔女か……血がたぎるねぇ」

 お梅の瞳が怪しく光った。思わず況子の背筋に冷たいものがはしる。
 やはりこの老婆は……ただ者ではない。さすがは前大会の優勝者、といった所であろうか。

「ではこの試合、いったいどうなると思いますか?」
「試合?今あんた、試合といったかい?」
「はぁ……違うんですか?」
「少なくとも、イギリス側のメイドなら違うというだろうね」

 そして、お梅はずずずとお茶を最後まで飲みきった。

「イギリス側がしようとしているのは殺し合いさ……対して魔女の方は殺し合いをする気はないようだねぇ・・・甘い……魔女のくせに、甘ったるいねぇ」

 そういうと茶菓子を頬張る。お梅は顔をしかめた。

「この茶菓子も甘いねぇ。あたしゃ甘いのが嫌いなんだ」
(文句言いながら最後まできっちり食べてるじゃない……あ、つまようじまで取り出した)

 しーはしーはとつまようじを使いながら、お梅はいった。

「実力だけなら魔女の方が上だね。けれどイギリス側は勝利に徹底している」
「……ということは?」
「最後まで言わせるでないよ」

 そう言うと、お梅はいつのまにか用意していたたんつぼに向かって、か~っぺ、と唾を吐くといった。

「古今東西、最後に勝つのはより『覚悟』を決めているほうさ」





「蛇姫、魔弾の準備をして」
「はい、お姉さま」

 素直に姉のいうことに従う蛇姫。

 セーラー服のスカートをたくしあげる。白磁のような白い太ももに、革のベルトが装着されており、そこに一丁の銃が吊されていた。

 魔弾。

 蛇姫の武器である。先の大会で使用して以来、手に取ることはなかった。
 銃身が、重い。
 ひんやりとした鉄の感触が伝わってくる。

「蛇姫、一度しか言わないから、よく聞いて」

 そういうと、邪美はそっと蛇姫に耳打ちをした。

「そんな……危険です!」

 驚く蛇姫。
 その顔を見て、邪美はなんともいえない表情を浮かべると、優しくいった。

「蛇姫、私を信じて」

 髪をくしゃくしゃとする。邪美の顔は剣士の表情ではなく、ただの姉の表情になっていた。

「私は誰も殺さない、殺させない。それは蛇姫はもちろん、敵のメイドも、敵のご主人様も……」

 邪美は微笑んだ。

「そして、私自身も」

 もはや、蛇姫に姉を引き止める術はなかった。
 だから、ただ笑って、

「分かりました」

 とだけ答えた。

「ありがとう、やっぱり蛇姫はいい子だ」
「私……いい子なんかじゃありませんっ」

 魔弾の準備をしながら、蛇姫はいった。

「もしもお姉さまにもしものことがあれば、私は相手を許しませんから……私はお姉さまみたあに、全ての相手を助けることなんて出来ません。私には、お姉さまだけが入ればいいんです。そんな妹なんです」
「……蛇姫を人殺しにするわけにはいかないね」
「そうですよ。……だから」

 姉の手を取り、そっと自らの胸の上、薔薇にあてさせる。

「無事に、戻ってきてくださいね」
「……了解した」

 そっと妹の手を握り返すと、邪美は息を呑み、くるりと背を向けた。

「じゃあ……、いってくるよ、蛇姫」
「はいっ」

 蛇姫から離れると、邪美は一瞬、目を閉じた。
 狙撃主に狙われている状態で目を閉じるなど、正気の沙汰ではない。
 しかし、それでもなお、邪美は意識を集中するために目を閉じていた。

 これは賭だ。
 しかも、悪い賭ではない。勝機は十分にある……はずだ。

(後は、私の覚悟)

 どくん、どくん、どくん。
 歓声が消え、自らの心臓の音だけが聞こえてきた。

(落ち着け……落ち着け、私)

 耳の奥がキーンとなる。心臓の音さえ遠くに感じる。

(私は……)

 魔剣を握りしめる。

(誰も……)

 息を整える。

(殺させない)

 そして、走り始めた。

 心の中で、思う。

(私を……狙撃しろ!)





「我慢比べに、勝った」

 額から流れおちる汗を拭おうともせず、キャロルはいった。
 こちらは狙撃する立場。圧倒的に有利だ。しかしその優位さは、

「こちらの居場所が、相手にさとられていないこと」

 が条件となる。

 できれば、最初の一弾で決着をつけておきたかった。何度も狙撃すれば、それだけ相手にこちらの情報を与えてしまうことになる。

 だから、待った。
 先に動いた方が不利なのだ。

「アリス!」
「安心してくださいです、キャロル様」

 アリスは冷静だった。
 普段は感情のままに行動しているが、いざ狙撃の段階になるととたんに頭が冷静になる。

「アリスは……キャロル様の……忠実な機械ですぅ」

 最大のチャンスにも、心は躍らない。キャロル様と共に耐え忍んだチャンスだ。
 最大限に、有効に、活用する。
 自分は、プロなのだ。

「魔女さん、さよならですぅ」

 そして、引き金をひいた。

(終わった……)

 キャロルとアリスが勝利を確信した瞬間。

 邪美が魔剣を一閃させ、襲いかかる銃弾を切り裂いたのだ。

「そんな!」

 思わず、アリスは立ち上がった。

「銃弾を剣で斬り裂くなんて、ありえないですぅ!」





「蛇姫!」

 邪美が叫んだ。

「はい!お姉さま!」

 両手をそえて、魔弾を撃ち放つ。

(いいかい、蛇姫)

 先ほどの姉の言葉がリフレインする。

(私がおとりとなって、狙撃される……蛇姫はそれを見て、相手の位置を特定して、魔弾を放って)
(でもお姉さま)
(私は大丈夫)
(……)
(相手はプロだから、確実に私に致命傷を与えられる箇所を狙ってくる。どこから狙撃されるかは分からなくても、どこを狙撃されるかさえ分かっていれば……それは防げる)
(でもお姉さま!)
(蛇姫!)
(……)
(私が狙撃されても、私だけを見ていては駄目。冷静になって、敵の位置を観察して)
(お姉さま……)
(大丈夫。私は知っているんだから……蛇姫ならできるって)

「お姉さま……お姉さま、お姉さま!」

 蛇姫の魔弾が放たれた。

「あそこですっお姉さまっ」

 魔弾は重力の影響も受けず、一直線に突き進むと、その場所、アナウンス席の真下を貫いた。
 同時に白い閃光が巻き起こる。
 その光の中、アナウンスの実況子は目を閉じ、お梅はニヤリと微笑んだ。



「言ったろ……覚悟を決めた方が勝つんだよ」




「けほっ・・・けほっ・・・大丈夫ですか、キャロル様・・・」

 煙が舞っている。コンクリートが粉々になって出来上がった煙だ。アリスはキャロルに覆いかぶさるような体勢になっていた。キャロルを守る、考えるよりも前に体が動いていた。

「大丈夫・・・だよ」

 声がある。いつもどおりのキャロルの声だ。ほっとするアリス。しかし次の瞬間、その安堵は絶望へと変わった。手にしていた傘型の銃が、綺麗に真っ二つに切り裂かれていたのだ。

「・・・信じられないですぅ」
「悪いな。しかし、これが現実だ」

 少しずつ煙が収まる。
 先ほどまでアリスとキャロルが潜んでいたのは、コンクリートで包まれた特別製の隠し部屋であった。大会前に、キャロル財閥の金の力をつかってひそかに製作していたのだ。もちろん、maid fightの規約違反にはならない。むしろ、maid fightは戦闘前の準備行動をすべて肯定しているくらいなのだ。

「勝利するためならば、どんなことでもする」

 このことがアリスのご主人様であるキャロルの意思であり、完璧な計画のはず・・・であった。

「確かに完璧だったよ」

 邪美は手にした魔剣をアリスの眼前へと突きつけていた。一部のすきもない。逃げることはできない。

「私の急所を、寸分の狂いなく狙ってきていた。完璧な狙撃だった・・・けれど、完璧すぎた。だから、よけることができた。もしも二流の狙撃者だったら、私も銃弾を避けることはできなかっただろう。完璧すぎたのが、敗因だ」
「まだ負けてないですぅ」
「この状況で、いったい何ができる?」
「・・・こんなことです」

 突然、アリスはスカートをめくりあげた。
 中には、数十個の手榴弾がくくりつけられてあった。

「この距離なら・・・よけることはできないですよ」
(もちろん、アリスもですが・・・)

 解き放たれた手榴弾は、スカートから離れると同時に、すべてのピンが抜けるようにセットされている。この至近距離での爆発だ。もはや自分は助からないが、それでもこの魔女を倒すことはできる。

(キャロル様、先にいってしまってごめんなさいですぅ)

 爆発の瞬間に備えて、アリスは目を閉じた。
 次の瞬間には手榴弾はすべて爆発し、アリスは邪美もろとも物言わぬ肉片へと変わっているはずだ。・・・はずなのだが。

 それは起こらなかった。

「魔剣、五月雨の舞」

 邪美が魔剣を振り、手榴弾すべての信管を一瞬にして切り落としていたのだ。カランと音をたてて、数十個の手榴弾がすべて床に転がり落ちる。

 もう武器はすべてなくなってしまった。
 つかつかと歩み寄ってくる邪美。
 アリスは両手を広げ、キャロルの前にたった。

「ここから先は、いかさな・・・」
「馬鹿!」

 邪美は魔剣を収めると、アリスの頬を平手で打った。
 ぱぁんと音がして、アリスの頬が真っ赤に腫れる。

「・・・な、何するですか?」
「それは私のセリフだっ」

 再び、平手が飛ぶ。アリスは先ほどとは別の頬をたたかれた。ふらつきながらも倒れこまなかったのは、後ろにキャロルが立っていたからであった。もしも一人だけでこの平手を受けていたのなら、すでにこの場にうずくまっていたことであろう。

「命を粗末にするな!」
「でも・・・」
「でもじゃない!」

 三度、平手が飛ぶ。容赦のない一撃だった。アリスの頬にはっきりとした跡がついた。

「あ、あなたに何の権利があってアリスをぶつですか?」
「私は教師だ!」

 邪美はアリスの両肩をつかむと、自らの胸に押し寄せた。ぱふっと音がして、アリスの顔が埋まる。そして強くアリスを抱きしめると、いった。

「自分を大事に思ってくれている人がいる。そんな存在に気づかないなんて・・・悲しすぎるじゃないか」
「なにを言っているのか、意味が分からないですわ」
「・・・これを見ろ」

 邪美はアリスを放すと、手にしていた、とあるものを見せた。

「・・・これは・・・」

 薔薇だった。

 アリスは振り向く。
 そこにははにかんだ笑顔で、キャロルが立っていた・・・その胸に、薔薇はない。

「もういいんだよ、アリス」

 キャロルが近づく。そっと頭をなでた。

「よく頑張ってくれた・・・ありがとう。だからもう、戦わなくていいんだよ」

 アリスの目から涙があふれてきた。鼻水もこぼれだしている。顔はくしゃくしゃだ。

「さっき、手榴弾を出して自爆しようとした時、君のご主人様が胸から薔薇をとって私に向かって投げたんだ・・・降伏する・・・その代わり、アリスを助けてくれ、とね」

 アリスは振り向いた。キャロルは笑っている。

「アリス。君がいない勝利なんて僕にとっては意味がないんだよ。もう帰ろう。あの丘のある家へ」
「う・・えぐ・・・えぐ・・・キャロル様ぁ・・・・」

 もはや彼女を押しとどめる何者もなかった。顔をぐしゃぐしゃにして泣き始めるその姿は、やっと、年相応の子供に戻ったかのようだ。

 その光景を上から覗きこんでいた実況子が、お梅から袖を引っ張られてようやく気づき、マイクの音量を最高にして叫んだ。

『イギリス側の降伏により・・・勝負あり!勝者、セーシェル共和国代表、伏魔殿邪美!

 今日最大の歓声が鳴り響いた。

 アナウンスを聞き、きびすをかえして帰ろうとする邪美の背中に向かって、泣きじゃくるアリスを抱きしめたままでキャロルがいった。

「ありがとう、不敗の魔女。アリスを救ってくれて」
「救ったのは私じゃない・・・君だ」

 振り返りもせず、邪美はそう答えた。
 キャロルは微笑んだままで、何も言わなかった。
 と、その時。

「待ちやがれですぅ」

 顔はキャロルの胸元にうずめたままで、アリスがいった。

「まがりなりにも、このアリスに勝ったんですから、優勝しないと許さないですよ」

 邪美は一瞬足を止めたが、すぐににこりと笑った。
 彼女の元にむかって息を切らせて走ってきてる蛇姫の姿が見える。

「まかせてくれ」

 柔らかな陽光のした、邪美はいった。

「思いをたくされるのには・・・慣れている」



こうして、maid fight Aブロック第1試合は終了した。
しかしこれは、これから始まる長い長い戦いのプロローグに過ぎないのである・・・




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